「国試も受かってうまくいってる!」そう思っていた矢先にASDとPTSDが発覚しメンタル崩壊。そこから人生の生き方、考え方を変え、発信し人との出会いによって人生を好転させた波乱万丈ストーリー。

私は社会人になって大きな壁にぶつかった。

あの時の私は、

人間関係が怖かった。相談も出来ない。

自分からいくのが怖くてずっと人の目をうかがっていた。

いつまでも心に大きな穴があって塞がることはなかった。

社会人生活がただただ辛かった。

皆さん初めまして。

猿田ももかと申します。

このブログを書いている

現在は23歳の作業療法士(リハビリの先生)です。

冒頭でとんでもないことを言っていますが、

フィクションではありません。真実です。

あの当時の私は精神的に追い込まれ、限界になっていました。

自分に自信が一切持てず、周りと同じように出来ない自分が憎くて惨めで嫌いでした。

また、早産で見た目ではわかりませんが身体ハンデがあり、

勉強は得意なのに体育などは配慮がなければこなす事すら難しいこと、

名前が珍しいこともあり小学校入学当初からいじめの標的でした。

そしていじめが続きメンタル崩壊し、体育のストレスも重なり自傷行為もするようになり

いじめがさらに悪化して、理解をし常に配慮をしてくれていた先生方でもいじめを止められず、

中学受験をして中高一貫に行きましたがそこでもいじめられ、

いつの間にか人間関係が怖くなっていました。

いじめは高校生活が終わるまで続きました。

他人の顔色や人の目を常に気にし、自分から意見なんて一切声に出せず、

学生時代は先生に怒られた事すらなかったのにも関わらず

社会人になって「何で周りと同じように出来ないんだ!」

とたくさん怒られてきた私

人生の生き方や考え方を変え、

過去の私とは真逆の

自分に自信を持ち、

自分らしさや幸せを見つけ

明るい未来のための勉強で忙しく、

人生を諦めないで良かった

思えるようになった道のりをこれから全てお話しします。

なぜ私がこれから自分の過去を全て皆さんに暴露するのか。

それは私はあなたに

過去の私のようになってほしくないからです

そしてあなたの力になりたいからです。

そう本気で思って、

明るく少しでも前向きに変われるように

全てお話しします。

社会人生活がやりにくい、生きにくい、

自分に自信がなくて人間関係が怖い。周りと同じようにが出来ない。

というあなたのためにブログを作りました。

私のどん底の過去を知って勇気付けられてください。

「国試も受かってうまくいってる!」そう思っていた矢先にASDとPTSDが発覚しメンタル崩壊。そこから人生の生き方、考え方を変え、発信し人との出会いによって人生を好転させた波乱万丈ストーリー。

どん底の学生生活とASDの予兆

時はさかのぼり

当時小学校へ入学したばかりの私は、すぐにいじめを受けるようになりました。

さらにいじめの理由はあまりに理不尽で、

どうしようもない状態まで追い込まれるようになってしまうのを

当時の私は知るよしもありませんでした。

いじめられていた理由は3つありました。

そして、その理由とは

  • 「猿田」という変わった名前
  • 見た目ではわからない身体発達の遅れ、劣り
  • 自傷行為

入学してすぐに「お猿さん」「モンキー」「猿」といじめられ、

さらに当時の私は階段も一段ずつしか降りれない、

給食はゆっくりでしか食べられない、

体育は先生方の配慮でなんとか状態で

球技をするとよく顔面直撃をしたり、常に周りの足を引っ張る

などの身体ハンデも目立ち

のろま」などと当たり前に言われるようになり、

さらにいじめられるようになりました。

そしていじめと体育のストレスが重なり、

気づいたら自傷行為をするようになり

自傷行為が理解されずさらにいじめが悪化しました。

当時信じられるのは先生方と親と数少ない理解してくれていた3人の同級生である男の子くらいでした。

当時から得意不得意が激しく、暗記が得意で手先が不器用な事もあり

主要科目全般はクラストップ争いをしていましたが、

副教科全般はクラス下位争いをしていました。

当時から得意不得意があまりにも顕著で、

体育が周りに合わせられないくらい体を動かすのが下手で

手先も不器用だったのは早産だからしょうがないと思っていた私は、

得意不得意が激しいという特性を気にせずに過ごしていました。

先生方も同じく考えていたと思います

当時先生方に全く怒られず、

家庭訪問で「本当に真面目で努力家で」と言われ

勉強が普通より得意な事もあり余計気づきませんでした。

そしていじめから抜け出すために担任の先生が先に考え、

家庭訪問の時に提案をしてくれたのが、

中学受験をし受かって、みんなとは違う学校に進む事でした。

担任の先生は、もうこれ以上今のクラスメイトと一緒にいても

メンタルが崩壊する一方で

勉強が得意という才能を持っているも気づいている上で

どうにか希望を持てる方法を探したんだと思います。

そして中学受験で受かればみんなと確実に離れられる。

何より勉強が得意でないと中学受験はできない

とわかっていたからこそ提案してくれたんだと思います。

そして、中学受験をし、中高一貫に進みました。

中高一貫に行っても体育はまったくついていけず、

相変わらず別メニュー、特別ルールでこなしました。

友達もほとんど出来ませんでした。

いじめも自傷行為のいじめだけは続いていました。

しかし、いくら人間関係が苦手でも、

ここでも勉強が得意で先生にも怒られなかった私は

またもや何も気にせず高校を卒業しました。

自分でも違和感を感じ始めた大学時代

高校卒業後、

作業療法士になるために作業療法学科に入学しました。

作業療法士になぜなろうと思ったかというと、

幼い頃、作業療法士さんのリハビリを受け

歩けるようになったからです。

当時のリハビリがなければ、

今歩けてないかもしれません。

そして次は自分が支えたいと思い、

作業療法士の道を選びました。

ところが、のちにゼミ担となる小児科医の先生は

入学当初から違和感を感じとっていました。

「あまりにも得意不得意が激しく、コミュニケーションが下手で、早産も大きいけど早産の裏に何かが隠れているんじゃないか?」

と。

大学生になり、やっと友達がたくさん出来ました。

しかし、

講義科目はほぼAで再試にも引っかからないのにも関わらず

病院実習、演習、実技はほぼC

再試の常連と

自分から見ても学年で一番差が出ていて

目立っていました。

他にも、演習で複数の子が次々に意見を出すと

頭の中の整理が追いつかなくて

意見を出すまで毎回いけなかったり

面談があるとメモが全く出来ず、

自分でも普通とは違うと感じるようになりました。

そして授業で発達障害について習い、

こう思いました。

「これって自分じゃん」

って。

病院実習も先生方が身体ハンデの相談をし、

「力がいるトランスファーとゆっくりでしか降りれない階段のリハビリは入れない形の実習」

という異例の形になったのにCでした。

その後、ゼミ担が決まり、新たな違和感に気づかれました。

「答えてほしい意図からズレた返し方をしている時がある。しかもそのことに本人は全く気づいていない。

ゼミ担に言われて初めて気づきました。

そして、ゼミ担は配慮と対策を考えてくれていました。

・面談の時はメモではなくボイスレコーダー使用にする

・意図からずれ始めたら説明の仕方を変える

そしてなるべく受け入れてくれる職場

に内定できるように、

配慮されなければならない事を先回りで考え、

苦手な面接練習をたくさんし、伝え方を一緒に考えてくれました。

勉強は得意な事もあり国試勉強は全く心配されず

やりたいようにやらせてくれました。

そして

「無理して周りに合わせなくていいし、無理に変わる必要ないから」とも言ってくれました。

ゼミ担のおかげで

就職先は一発内定で決めることが出来ました。

そして、クラスメイトや先生方に支えられて国試も受かり大学を卒業しました。

働きにくさを感じた社会人生活

大学卒業後、社会人生活になりリーダーに

キツく指摘されることが多くなりました。

「優先順位が分かってない」

「報連相は?」

「司会進行で、抑揚がない」

「テーマが一緒だと、なんで同じ流れしか思いつかないの?」

「同期との差がどんどん離れるよ?」

「時間かかりすぎ」

「あなたはどこにいっても働けないと思う」

リーダーと一緒にいると褒められることがない、

身体ハンデの代償が大きいと感じるようになり

しんどくなっていった私は

追い込まれこんなことを思うようになりました。

「リーダーと同じ出勤日が怖い」

「インシデントを起こしたらどうしよう」

「また何か指摘されるかな」

「追い込まれすぎて、患者さんのことを考えるよりも、自分を優先している」

「プリセプターさんと同期はそんなこと言わないのに」

そして、心身も精神も限界になり、社会人一年目で退職と転職をする決断をしました。

そして、次の職場で仕事がしやすくなるかもしれない事、

発達障害を抱えている気がして

モヤモヤしていた事から

退職する直前に、知能検査を受けました。

そして知能検査を受けたところ、

知的障害のない大人の発達障害(ASD)、

学生時代の理不尽で長期に渡ったイジメによるPTSD

と診断されました。

当時の知能検査の詳しい結果(数値)はこちらです。

定型発達の皆さんが知能検査をすると、

一番高い値と一番低い値の差は15以内に収まる

と言われています。

しかし私の場合、

一番高いワーキングメモリーと一番低い処理速度の差が47も離れており、得意不得意が両極端なことが分かりました。

今までずっと勉強で苦労しなかったのは、

たまたまワーキングメモリー(記憶)の能力が元々高く、

記憶力をフルに楽に使えていたから。

その代わり、処理速度の能力がかなり低く

グループワークでは意見が全く思いつかず、

人の話を聞きながらメモが全く取れない

という現象が起きていたのです。

実際にこの数値を見て、今までのことがつながり、

心のモヤモヤは無くなりましたが

「やっぱりそうなんだ。普通じゃないんだ。」

と思ったことを覚えています。

社会人一年目での転職と転機

その後、カウンセリングを受け、

カウンセラーからこんなことを言われました。

「あなたは十分頑張っているよ。ただ、普通より

得意不得意の差がある分苦手が目立つし、

頑張りの結果が周りからすると見えにくいだけ。

だから、作業療法士として働くのであれば、

もう少し周りの理解がある職場がいいかもしれない。」

この言葉を聞いて、私はとある決断をしました。

総合病院を退職して精神科作業療法士ではなく、

小児の療育施設で作業療法士として勤務し、

勤務しながら今までのたくさんの経験を発信していこうと。

なぜ小児の療育施設に転職しようと思ったかというと、

ASDやADHDの、自分で動ける子達が集まっている療育施設

であれば自分の身体ハンデで配慮をしてもらう心配が

今よりも確実に減る。

何より、自分と似たような境遇の子達だからこそ本当の意味で

自分が職場にいる意味が見出せる、

職場の先輩も自分と似たような子供たちをたくさん見てきており、

自分のASDへの理解や受け入れが確実にされやすい

という想像がついていて、

自分も子供好きで大学時代、学童バイトもしていたからです。

そして現在の職場になりますが、2022年12月より、

発達障害のグレーゾーンの子たちが多く集まる

療育施設で作業療法士として働き始めました。

現在の職場は想像通りすごく働きやすく、

心から仕事が楽しいと思えています!

なぜなら、先輩方は障がいのことを全く気にせず

受け入れてくれて、自分だから出来るこ

常に模索してくれているからです。

そして現在の職場の基本方針である、

・苦手なことは絶対に得意にならないから、少しずつ許容範囲になればいい

・毎週の面談

・休みの日に仕事を持ち帰らないように、プログラム内容を考えて準備をする時間を、業務中に必ずとる

・療育に入った職員による必ずある毎日の振り返りの時間

これが、当たり前になっていて

尚且つ些細なことでも「ありがとう」

と言ってくれてモチベーションを

保てているからです。

前の職場ではあんなに指摘されていたのに、

今の職場は

「放デイの時特にイキイキしていていつもありがとう!助かる!」

「今までの職員さんはロール(司会進行)自発からだったんだけど、放デイの時の方が動きも表情もいいから、初の試みなんだけど放デイからで考えてみたよ!」

「初めてのロール(司会進行)見てたけど、大きな声でわかりやすくて度胸あるよね!こういうの慣れてる?」

「ブログも出来てるじゃん!」

と本当に指摘されることがなさすぎて、

職員の目を伺うことが前よりかなり減りました!

本当に社会人一年目で転職するという

勇気のある決断を、あの時して良かったと思っています。

そして改めて

「発達障害者は職場の環境次第で働きやすさが変わる」

と言われていますが私は今そのことを実感しています。

ASDのこと、今までのことを発信しようと思った理由

ASDとわかって発信しようと思った理由が

いくつかあるのでその理由を皆さんに

知っていただけたらと思います。

その理由とは、

・そもそも知的障害のない発達障害は知られていないことが多すぎる

・知的障害のない発達障害は、気づかれにくく発覚するまでの間に本人が苦しむ

・言葉の力が大きい

・知的障害のない発達障害は周囲の理解が得られにくい

というのが主な理由です。

近年、社会の多様化や発達障害が知られるようになり

大人になるまで全く気づかれず、働きにくさを感じ

大人になって発達障害が発覚する人が

急増しています。

そして共通するのが

働きにくい、

生きにくい、

受け入れられにくい

という現実があることです。

私たちは発達障害になりたくて生まれたわけではありません。

たまたま発達障害者として生まれてしまったのです。

そして、どんなに辛い状況でも

いい状況に変えるきっかけに繋げられたのは

「言葉の力」だと思っています。

いじめが続いて、中学受験という選択肢を考えて、

言葉で伝えてくれたのは当時の担任の先生であり、

社会人一年目で転職という勇気をくれたのも

カウンセラーの言葉でした。

YouTubeは大学時代から

なんとなく楽しそうでやっていますが、

今はたくさんの経験を発信し、発達障害のことを

皆さんに知ってもらいたいですし、少しでも生きやすくなる

希望になれたら嬉しいです。

様々な繋がりも大切だと思っています。

様々な方と繋がり、

誰かに必要とされたり

誰かの希望になれたら自分の自信につながるからです!

皆さんにお知らせがあります!

この度、公式ラインを開設しました!

発達障害があっても生きやすい考え方など

タメになる情報を発信します!

こちらから登録よろしくお願いします!

投稿者: ASDMOMOKA

【発達障害でも生きやすい世の中を作る】 早産で生まれ、「リハビリをしないと歩けないかもしれない。歩けたとしても身体発達は遅れるし劣る」と医者に告げられ作業療法士のリハビリを受け歩けるようになる。幼い時から名前が珍しいことや身体発達の遅れと劣りが目立ち理解されずいじめを受け自傷行為をするようになり、中高一貫に進むも高校卒業までいじめられる。大学は作業療法学科に進み国試に合格し病院に作業療法士として就職するも働きにくさを感じ、検査を受けたところASD、長期の理不尽な学生時代のいじめの後遺症によるPTSDが発覚。自身の経験や当事者目線から生きやすくなる考え方、対処法を発信!

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